はじめまして。小田桐あさぎさんの魅力覚醒講座を2022年7月より継続受講しているssayaです。
元家庭崩壊、イライラ妻歴10年から抜け出した、地方在住、夫と高校生の2人娘、義父母と同居中の40代主婦です。
今でこそ家族関係は良好、本音で話せる友人もでき、毎日平穏な生活を送っていますが、
バツイチ2児の父だった夫と結婚し、夫の実家での生活が始まってからの私は家庭の中で「孤独」や「無価値観」を感じ続ける過酷な10年間を送っていました。
私が 現在の幸せな生活を手に入れるまでの経過 をわかりやすく知っていただけるように、まずは「平穏な幸せを夢見た結婚生活のはずが家庭崩壊・イライラDV妻になった理由」を綴ります。
平穏な幸せを夢見た結婚生活のはずが「家庭崩壊・イライラDV妻」になった理由
夫と出会い~結婚まで
当時夫が介護士として勤めていた介護施設に看護師として入職したことで出会った私達。
夫がバツイチ2児の子持ちだということはすぐに噂話で知りましたが、夫の高齢者に対する優しさや、娘連れで参加していた職場の懇親会で見た温かなパパの姿に心奪われ、出会って半年ほどして交際が始まりました。
交際中のデートは娘も一緒の事がほとんど。
元々口数が多くはない夫。合わない時間の連絡もまめにとるタイプではなかったですし、2人きりの時間も少なかったので、寂しさからイライラやヤキモキした気持ちを夫にぶつけ、ケンカになることもたびたびありました。
それでも「結婚して一緒に生活したら意思疎通も自然にとれるのではないか」という期待を持ち結婚。
この「勝手な期待」がその後10年間の暗黒期間を招いた のです。
結婚、そして義実家での生活がスタート
約3年の交際を経て結婚。
夫、娘2人、夫の両親、曾祖母との7人暮らしが始まりました。(玄関、キッチン、バストイレ、全て一緒の家です)
私は父・母・妹の核家族で生活してきたため、義両親との距離感や関わり方にとまどいが大きく
- 朝は何時に起きたらいいのか?
- 料理や家事はどこまでやったらいいのか?
- 掃除や洗濯は・・・・?
- 娘の学校のことも、田舎のご近所さんも誰が誰だかわからないことだらけ
しかも、仕事の帰宅は毎日私が一番遅く、温かく楽しい結婚生活とは真逆の緊張と疲労感で毎日ヘトヘトの日々が始まりました。
夫に私の大変さを訴えても
嫌ならやらなくちゃいいだろ!!
そんなこと言ったって私嫁だし・・・・私はうまくやりたいだけなの。なんでわかってくれないの??助けてよ!!
と、堂々巡り。
月に1,2回夫と平日休みが重なるとランチに出かけたりはしましたが、思い描いていた新婚ムードもなく、不満だけが溜まる日々。
唯一の見方であって欲しい夫に理解されない悲しさと辛さも蓄積していき心身ともに疲労が蓄積する中、一番のダメージは2人の娘との関係でした。
ステップファミリーの厳しさを思い知る
夫と交際中は仲良くできていたと思っていた娘との関係ですが、2人の娘は私がママになった途端、一切私に近寄らなくなりました。
それどころか、義母(おばぁちゃん)に異常なほどベタベタ。
もちろんパパを奪われた悲しみや、今まで「お姉ちゃん」だった人がいきなりママになった戸惑いを感じていたことも理解していたつもりです。
なので、「私はこの状況を耐えるしかないのかな・・・」と、自分なりに一生懸命コミュニケーションをとりましたが、効果は感じられず。
一緒に食事を摂っているのに、私はいない存在かのように会話に入ることもできず、次第に夫やおばあちゃんと娘の楽しそうな姿を見ると涙がこみあげてくるようになり、寝室でクッションに顔をうずめて泣く日々が始まりました。
時には楽しそうな声が聴こえないようにイヤホンをして寝室で過ごすことも・・・・
元々大人や子供関係なくコミュニケーション下手な私。
夫に相談しても、
娘とは性格が合わないんだから仕方がないだろ!
放っておけ!
私は仲良く暮らすことを諦めたくないの!
でも、自分でもどうしたらいいかわからなくて困っているから助けてよ!!
当時、悩みを相談できる友達もおらず、
娘との心の距離感は10年間縮まることはなく、最終的には声をかけても完全無視。私の気配を感じると別室に移動してしまうようになりました。
夫と交際中は仲良くできていたはずの娘との関係が、なぜこんなにも拗れてしまったのか・・・
私の存在意義って?すべては娘と家族のために頑張っていたはずなのに・・・・
嫁ぎ先はごみ屋敷とは言わんばかりの物が煩雑に置かれた古い家でした。(義母も働いていた為、掃除をする余裕がなく生きてきたのだと思います)
あらゆる戸や引き出しが常に開けっ放し、出したものは出しっぱなし、ゴミも踏んで歩くが日常茶飯事。
性格的には家族全員おおらかで、娘もその通りに育っていましたが、片付けた数分後にはありえない有様になる毎日に私のイライラは募るばかりでした。
嫁いですぐに家を建て替えましたが、「新しい家ならきれいに使うだろう」という私の勝手な期待はここでも打ち破られ、すぐに建て替え前と同じ状況になりました。
そこで私は、「この家で娘を正しい道に導けるのは私だけ!私が良い悪いをしっかり教えなければ!!小学生のうちならまだ間に合うかもしれない!」と、「娘が将来困らないように。お友達と仲良くやっていけるように」という 正義感 で、ただでさえ私に近寄らない娘に対して「一緒に片付けよう」「ありがとうって言おう」「靴はそろえよう」「食べたお茶碗は運ぼう」などなど、、、私が嫁がなければとうてい指摘されることはなかったであろうことを伝えるようになりました。
これが本当にウザかったのでしょう。
案の定、娘の反抗(無視)はさらにひどくなっていきました。
それでも「しつけができるのは私だけ!」と自分の存意義にこじつけ、時には「片付けないなら全部捨てるよ!!」とゴミ箱に捨てるパフォーマンスをしたこともありましたが、正直逆効果だったと思います。
長女の信頼を失った決定的な出来事
長女が小5の頃、バスケットボールチームのAちゃんのママから「試合中にAちゃんの動きを指摘する長女の口調がきつくてストレスを抱えている」と苦情を受けました。
小柄だけど強気で運動神経の良い娘。長身ではあるがおっとりタイプのAちゃん。
私自身が運動が苦手なのでAちゃんの気持ちも理解できるし、長女の気持ちもわかる。
私は両者の中間的な立場で調整役に入ったつもりでしたが、長女からは「私が全部悪いんでしょ、ママは私がいなくなればいいんでしょ」と言われ、この件から、長女の私に対す態度に厳しさが増し、無視だけではなく、家族が見ていない隙に刺されるような目で睨まれる日々が始まりました。
私はみんなで仲良く楽しくバスケットボールをしてもらいたかっただけ。
その一心だったのに、私のすることは裏目に出てばかり。
結局Aちゃんは退部。
今思えば、長女にとっては「自分の気持ちは理解されない」と確信を得た出来事となったのだと思います。それでもあの時の私は精一杯だった・・・・
その頃から長女が外で根も葉もない私に対する噂を流すようになりました。
「ママが勝手に部屋に入って物を壊したり捨てる」
「ママがダメ言ったから私がやりたいことはやらせてもらえない(一切そんな会話をしていない)」
挙句の果てには「ママは金ズルだから大学を卒業したらパパとは別れてもらう。それまでの辛抱」と話していたことも私の耳に届きました。
長女に話しかけることすら怖くなった私。
長女が私を避けることは悲しかったれど、接触しなくて良いという安堵感を感じるようになりました。
夫も話は聞いてくれるけれど、私が救われるような言葉がけや対応をしてくれる訳ではない。
なんなら夫は頼りにならないと思っていました。
相談できる友達もおらず、実家にも泣きつけない(実家との関係はおいおい・・・)。
この頃から、私は心の拠り所を求めて高額な自己啓発にはまっていくのでした。
潜在意識を変える方法、ブロックを取る方法、レイキ、瞑想、前世療法、パートナーシップ講座、子育て講座、引き寄せの法則、運気の上がるグッズ、お守り、浄化セット・・・
どれも効果のある学びやグッズだとは思うのですが、あれを受けても変われない、これを受けても変われない、と、当時の私は満足の結果を感じることができず、貯金だけが減っていきました。
貯金が底をつき始めると投資やFXの講座に入るのですが、結局理解できず、止められない悪循環を繰り替えいていました。
「家族みんなで笑顔で暮らすため」という理由をつけて・・・・
夫との関係が冷え切り家庭内別居。終いにはうつ病で布団の中の生活になった夫
夫は根は優しく温かい人ですが、放任家庭で育った事も影響してか、自分の考えや行動を言葉にすることが少ないタイプでした、
一方私は、不安が強く、事細かに状況を把握しておかないと気が済まない真逆のタイプです。
「一つ屋根の下で暮らせば意思疎通が図れるだろう」と、ここでも勝手な思いを描いてましたが、現実は隣にいても心の距離は離れていると感じる毎日。
娘との悩みをいくら夫に訴えても、
それで俺はどうしたらいいの?これ以上俺にはどうすることもできない!!
夫なりに娘に働きかけてはいてくれたようですが、私の望むような関係性にはなれず私の心身は疲弊していくばかり。
次第に夫には「理解してもらえない」という悲しみが怒りに変わっていきました。
万年高ストレス状態の私は、夫が約束や頼み事を忘れると、徹底的に夫を責め立てるようになりました。
私の夫は「何度言っても約束を破るダメ男」「うそつき野郎」「使えない無責任男」!!
翌日仕事の夫を寝かさずに朝方まで怒り続け「お前のせいで私は不幸になった」「謝れ、謝れ」と連呼することもたびたび。
そんなことが続くと、夫は私が怒りだすと夜中でも家を飛び出すようになりました。
逃げる夫を捕まえる私。
私の手を振りほどこうと平手打ちをされた私はさらに逆上。
夜中に警察を呼び「DVを受けた」と訴え大騒ぎしたこともありました。
振り返れば 私がDV妻 だったと思います。
当時はそんなことに気が付かず、
「私のしていることは正しい!それを理解しない夫や家族が悪い!」と自分を正当化し、正しさを証明しようと躍起になっていました。
なぜこんなに意固地になっていたかというと、『私が正しくて役割がないと、この家にいる必要がなくなる』と思っていたから。
私はこの家には必要ない、私なんていなくたって困らない、この家には私の居場所はないと本気で思っていたからです。
そんな 孤独や無価値観 を感じながらも、根底にある夫と娘への愛情が消せず、離婚に踏み切れずにいました。
結婚8年目のある日、夫にお願いしていたことを義理母にさせていたことに激怒した私。夫の出勤時間になっても怒り続けていた結果、我慢の限界が達した夫は窓ガラスを割って逃亡。
翌日警察に連れられて帰宅した夫は何もしゃべらず、ずっとうつむいたまま。
その日から布団の中の生活が半年以上続きました。
活動ができるようになっても、私の気配を感じると布団に潜るか出かけてしまう夫。
夫の気配は感じても、姿を見ることができない日々が続きました。
義両親には「使えない嫁だ」「あなたのせいで家の中がおかしくなった」と言われ、私も遂に関係修復は無理だと判断。
家を出るために荷造りをはじめ、キャリーケース2つに荷物をまとめたところで、私に 子宮癌が発覚し手術 になったのです。
離婚するタイミングを失ったまま職場復帰したのですが、仕事中に傷口のかさぶたが履かれた刺激で動脈から大出血し下半身が血だらけに。
緊急で止血手術をすることになったのですが、夫とは連絡がとれず、涙が止まらないまま手術台に上がったことを記憶しています。
そして、忘れもしないこの大量出血の日は、私の人生を180度変えた「魅力覚醒講座」の第1回目の講義の日でした。
小田桐あさぎさん主催の魅力覚醒講座が開始
セミナージプシーを繰り返していた当時の私は高額講座のカードローンは当たり前。
金銭感覚が麻痺していた私は、たまたまFacebookで小田桐あさぎさんの「ちゃん卒ライブ」をみたこときっかけに魅力覚醒講座に申し込みました。
もちろん「この課金が最後、これで私は人生を変える!」という気持ちで・・・・・
止血手術の翌日、病院のベッドで録画された講義を聴いていると、今まで学んできた世界とは講座の切り口の違いやカリキュラムの充実度にビックリ!!
新しい世界に扉が開いたような気持になり、直観的に「今度こそ私変われるかも」と思いました。
その時からもうすぐ2年。
今では
- 夫とは付き合っていた頃より仲良し
- 家事全般に協力的な夫(私より料理上手)
- 2週に1度は夫と週末ランチ🍝(お店は毎回夫が見つけてくれる)
- 娘とたわいもない話で馬鹿笑い
- 「あなたがいてくれて良かった」と義両親から言われる
- 本音で話せる友人に囲まれ、リアルやzoomで楽しくおしゃべり
- 家事に仕事に気の休まることのなかったワーママでしたが、看護師を卒業、PC1つで場所と時間を問わない働き方をしています
魅力覚醒講座の何が私の生活をここまで変えたのか・・・・。
次回は講座生だからこそ語れる、魅力覚醒講座の効果を語っていきます。
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